気づいたら、お金が回らなくなっていました。
(※イラストの方はめっちゃ首回ってますね。)
ストレスフルな生活環境と金遣い
件の電話から数日は、ボクも「あくまでこの限度額アップは利率ダウンのためであり、また借りたらダメだ」と思っていました。
でも、お金の使い方への考え方が根本的に変わっていない以上、目の前に使えるお金があればあるほど使ってしまうのは当然のこと。
結局すぐに、増えた分のお金は使ってしまいます。
なお悪いことに、ボクは社会人2年目にして、いきなり会社都合での異動を余儀なくされてしまいました。
1年目に配属された職場が、他の会社の担当になるということで、ボクは別の職場に行くことになったのです。
その新しい職場が、とてもとてもとてもとてもストレスフルなところで、今でも印象に残っているのは、お風呂に入ると毎晩のようにごっそり抜ける髪の毛です。
この、2番目の職場での生活は、本当に、気が狂いそうでした。
ストレスからか、仕事が終わると、ドカ食いに走る毎日でした。
いや、仕事が終わらなくても、仕事中の食事もそんな感じです。
近くのスーパーで4割引きで買ってきた冷凍チャーハンなどを1袋丸々食べる時は(経済的には)まだ良い方で、仕事の途中の休憩でよく好んで食べていたのは、例えば松屋さんの特盛やダブルなんとか定食のような、最高額クラスのメニューたちでした。
仕事が終わる頃にいつも考えているのは、「今日は何を食べに行こうか」ということです。
ある日は800グラムのナポリタン、またある日はすた丼肉飯増し、またある日はつけ麺600グラム…。
とにかく食べて食べて食べまくりました。
前にも書いた通り記録が残っていないので正確なところはわかりませんが、おそらく、食費として使っていたのは1日3,000円、月10万円を超えるのではないでしょうか。
ちなみに当時のボクの家には冷蔵庫も電子レンジもコンロもなく、さらに自宅はたいへんな「汚部屋」(ボク自身は自宅を「ダンボールジャングル」と呼んでいました)であり、室内で飲食すると虫の対応に追われることが間違いないと思われていたため、当時自宅でものを食べたことはほぼありませんでした。
すなわち食事はつねに外食で、自炊はおろか、スーパーのお惣菜とかお弁当の類すらも(当時それらを「ダサい」と思っていたこともあり)いっさい手を出しませんでした。
(なお、その施策のおかげか、お金は日に日になくなっていったものの、いわゆるGの虫などは、当時まったく見かけることはありませんでした。というか今もほぼ見かけない…実は優秀なアパートなのでは)
食費だけではありません。
仕事のない日は、カーシェアの車で遠くへ出かけたり、一人で富士急ハイランドへ行ったり、大学時代のサークルに邪魔しに行ったりと、お金のかかる遊びばかりしていました。
車関係は、車両代だけで月4万円程度、それに加え高速道路や駐車場で月2万円程度使っていたのではないでしょうか。
ここで、ギャンブルや風俗やお酒といった、「これはまずい」「そりゃ借金するでしょ」という遊びに手を出さなかったのは、良かったのか悪かったのか。
平成30年現在の今から思えば、実はうつ病一歩手前だったんじゃないか、という状態だった当時のボクは、新しいことへの興味というものがいっさいわかず、そういった、今までやったことのないものには手を出しませんでした。
そのおかげで、ギャンブル依存やアルコール依存のような「わかりやすい」破滅は避けられました。
一方で、確実に破滅に向かっていく経済状況が自分にとって「わかりにくい」ものとなってしまいました。
そして余談ながら、今から思うともったいないなぁ、と思うのが、当時の楽しかった記憶があまり残っていないことです。
特に大学時代のサークルでは、当時のリーダーがあからさまにボクを嫌っていたのと(そりゃそうです、当時のボクは明らかに邪魔な老害だったもの)、例のうつ病一歩手前の精神状態とで、全然楽しかった記憶が残っていません。
本当は、楽しかったこともいろいろあったろうに。
環境の変化
そんなストレスフルな環境でいつまでも働き続けるわけにはいきません。
当時のボクの仕事では、がんばって試験を受けて合格すれば、別の新しい仕事に進めることになっていました。
当然死に物狂いで、なんとかして試験に合格しようと、それは本当に必死でした。
そして、なんとか、合格。
社会人3年目の夏には、無事異動となりました。
かのストレスフルな職場からは離れ、しかも仕事の内容も、今までの全然興味のないことから、自分の好きなこと、やりたかったことに大きく近づいたものになりました。
これでストレスから解放!
さらば借金!
…なんて、そうは問屋が卸さない。
新しい仕事は、会社は同じではあるものの、内容がまったくもって異なります。
たくさんたくさん、勉強しなければなりません。
その上、先生役の社員としばらく2人で行動することになるので、自分だけのペースで仕事ができるわけではありません。
慣れない仕事、次から次へとやってくる勉強…
毎日がとても忙しく、慌ただしく、あっという間に過ぎていく日々。
当然、お金の使い方への意識が改善されていないボクは、こんな状況に置かれれば、また大学生の頃のように「時間を金で買う」生活をしてしまいます。
あっという間にふくらんでいく借金。
異動すれば終わり、ではありませんでした。
首が回らない
やがて教育期間も終わり、1人で仕事をするようになった、社会人3年目の終わりごろ。
この頃のボクの自転車操業は、今から思えば、目も当てられないような惨状でした。
下旬の給料日になると、まずカードローン「バンクイック」の約定返済(「35日ごと」に設定していたので、ここは自分のペースでできてありがたかったです)。
利息に吸い取られ、減らない元本。
次いで翌月上旬のビューカード(ビックカメラSuica)とUCカード(みずほマイレージクラブカード/ANA)の引き落としに備えます。
給料から約定返済分を引いた額と、これらのクレジットカードの引き落とし額とを勘案し、お金が足りない分はバンクイックから借り直して対応します。
それでも末期が近づくにつれ、バンクイックは限度額になって使えなくなっていったので、さらに足りない分が発生してきます。
その不足分については、ビューカードについては無利息のボーナス一括払いに回していましたが、UCカードについては手続きの都合上、悪名高いリボ払いにしていました。
当時のボクは、計画的に支払いをコントロールするという発想がまったくなかったので、明細が出てはじめて対応を行うような、後手後手マンでした。
でも、UCカードの「リボ変更」なら、期日までに手続きをすれば、一括払いをリボ変更に、後回しにすることができるのです。
リボ払いの金利等はとても高く消費者にはつらいものですが、この仕組み自体には、本当にお金がなかった当時のボクはとても助けられていました(本当はこの仕組みに助けられてはいけない)。
(なお誤解のないように書いておくと、今まで出てきたバンクイックもビックカメラSuicaもみずほマイレージクラブカード/ANAも、ボクの使い方が不適切だっただけで、サービス自体はどれもステキなものですよ! しかもビックカメラSuicaは後の「債務の整理」を乗り越えたので、今でもお世話になってます。)
そして本当に末期になると、それでもお金が足りません。
公共料金の引き落としや、ボーナス一括・リボ払いにしてもなお足りない分の支払いについては、よく街中で見かける怪しげな看板の、いわゆる「クレジットの現金化」ではないものの、それに近いようなやり方で、あの手この手でその場限りのお金を作って、しのいでいました。
(もちろん、その場で作ったお金もあとで債務となってボクを苦しめることになります。そして余談ですが、あの「クレジットの現金化」については、絶対に手を出してはいけないそうです。詳しくはいつか改めて記事にさせていただければと思います。)
2回程度、バンクイックの約定返済のため、大学の後輩からもお金を借りました(学生に金をせびる社会人)。
とはいっても、「今日中に返すから1万円貸してほしい」とお願いし、その1万円と自分の財布のお金とを合わせていったんバンクイックにいったん返済しその月の約定返済をクリア、そして利息分を引かれてわずかに残る利用可能額から再び引き出し、後輩にその日のうちに1万円を返す、というようなものでした。
基本的にこの頃、末期の頃のボクはだいぶクズでしたが、それでも、人からお金を借りても、当日中には絶対に返していたのは、まだ救いでした。
「金の切れ目が縁の切れ目」とはよく言ったもので、もしも当時のボクが「人から借りたお金は当日中に必ず返す」を徹底していなかったら、今頃ボクの周りに友人はいただろうか…そう思うと、震え上がるほど恐ろしいものです。
もう一つ、当時のボクの行動の中で数少ないほめられるところが、滞納をほとんどしなかったことです。
当時のボクは、お金やスケジュールに関する意識がだいぶ甘かったこともあり、うっかり、過失でクレジットカードの引き落としなどに失敗して滞納をしたことは何度かありました(遅延損害金がもったいない…)。
が、いちばん大切な家賃は一度も引き落とされなかったことはありませんし、他についても、「もうお金がないからあきらめよう」だとか、「あっちの支払いを優先させるためにこっちは待ってもらおう」だとか、そういったことはせず、最後の最後まであきらめずに戦いました。
そのおかげで、なんとかいわゆる「信用情報」が、かろうじて「リボとカードローンがいっぱいある人」程度で済んでいたようです。
このことは、後にお話することになる、「債務の整理」にも大きくかかわってきます。
延滞をしなかった背景には、やはり自転車操業の「自転車」をなんとか回し続けるためには、お金の出るところをストップさせてはならない、という意識はありました。
皮肉にも、自転車を回すために必死で自転車を回し続けていたことになります(文意が取りづらくすみません。が、自転車操業ってそういうものですよね)。
そんな生活もそう長く持つはずもなく。
やがて終えんを迎えます。
そして本題とはあまり関係ありませんが、ボクの自転車は電動アシスト付き折りたたみ自転車で、坂の多い町の、駐輪場のないアパートに住むボクにとってはとても便利です。
今回も長くなってしまいました。
毎度お読みいただき本当にありがとうございます。